小さな大きな いのち



砂浜に顔を出した

小さないのち




大きな宇宙の

大きな地球の

大きな海の

すぐそばに生まれた

大きないのち



m( _ _ )m

 

しょ^-^げん 合掌

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小さな大きな いのち” に対して2件のコメントがあります。

  1. 人間の本質を見つめる方へ より:

    Unknown
    Unknown
    ブログ拝見させていただきました。もしよかったら私のサイトもご覧ください。

    『私は一方では障害を認め、受けとめるべきだという立場を取り、一方では(医学的な)知識と裏づけで障害を防止しようとする立場を取る。
     どんな表面的な言葉を並べたてても、私の中でこの戸惑いが消えることはない。“障害を妨げられるのなら、妨げた方がいいにきまっている”という暗黙の了解がどこかにある限り、本当の意味で人間社会が人類のもつ多様性を認めることはできないのではないだろうか』http://blog.livedoor.jp/tarotohachinosu/

  2. しょ^-^げん より:

    Unknown
    Unknown
    >“障害を妨げられるのなら、妨げた方がいいにきまっている”という暗黙の了解がどこかにある限り、本当の意味で人間社会が人類のもつ多様性を認めることはできないのではないだろうか

    本当に奥の深い問題だと思います。私見ですが、障害というのは、やはり生活の上で困難な面が多く、防げるものなら防ぐべきものだと思います。でもそれが障害を認めないという意味には、必ずしも結びつかないように思います(なんとなくの感覚的にですが)。多分、人間みんなが同じ障害をもっていたら、その障害を防ごうとは思わないと思います。多分、人間は自分と違うものには、何かしら抵抗感をもつんだと思います。でも、その反面、自分と違うものに対する憧れというものも同時に存在している気がしています。抵抗感と憧れの両者のバランスがうまく取れていれば、いわゆる人類のもつ多様性を認めることができている状態なのだといえるのではないか。というように思いました。あくまで感覚的にですが。障害を防ごうという気持ちと同時に、障害にも良さがあることを認めていれば、問題ないのではないか。そんな見解をさせていただきました。

    >http://blog.livedoor.jp/tarotohachinosu/
     ↑素敵なブログですね。また、拝見させていただきます。
     しょ^-^げん 合掌

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