ご挨拶(←仏教語なんですよ♪)

瑞 虹 煌 惠 水
(瑞虹 惠水に煌めく)

 一 挨 見 浅 吾
(一挨す 浅き吾を見ゆ)

 一 拶 見 深 瀑
 (一拶す 深き瀑を見ゆ)

 嗚 呼 志 咲 夫
(嗚呼 志 咲くかな)

 


めでたい虹が、惠みの水に煌めいている


私はふと我にかえり、じっくりと自分を見つめなおした

とても浅はかに思えた


私はそして、じっくりと滝を見つめてみた

水が流れているのに、揺らぐことのない滝は

深い存在感だった


ああ、私の志を笑い咲かせよう

岩瀧寺の滝のように

勢いよく流れながらも、揺らぐことのない

志と、挨拶の心をもって生きていくのだ







はい、あらためまして、皆さまあけましておめでとうございます^−^

新年明けましてから、既に10日目となりましたが、やっとご挨拶させていただきます。

年末年始バタバタしていて、少し落ち着いてきたので、私自身の今年一年の抱負というかいわゆる「新年の決意」的なものも含めて書いてみようと思います。

 

「挨拶」という言葉、誰もが聞いたことのある言葉だと思いますが、元々は仏教語(禅宗に由来する言葉)なんですよ♪

 

よく、結局何が言いたかったの?的な会話になることを「禅問答」っていうことがありますよね。

「禅問答」というのは、禅宗のお坊さんが悟りに近づくためにする修行のひとつです。

「1足す1は、何?」と問われれば、普通は「2」と答えるところですが、問いを投げかけた側の真意をとらえて、答えが「2015」とかになることだってあるんです。

そんな感じで、一方が問いを投げかけて、もう一方がすかさず答えるその反応から、相手の禅僧としての力量の深浅を測るんです。

だから、問う方も答える方も、お互い真剣で、全身全霊を使って行う修行です。

 

問答をかけ合って相手の悟りの深浅を測ることを「一挨一拶」といっていたことが、現在の一般的に交わす「挨拶」の由来なんです。

分かりやすく言うと、この投げかける問いが「挨」で、返す答えが「拶」です。

自分自身、勉強不足なので、微妙なニュアンスが伝えきれていないかもしれません、すみませんm(__)m

が、私が言いたいのは、「挨拶」というのは、この問答のように、問う方も問われる方も、お互いに真剣に心をこめて向き合うことだということです。

 

昨年一年間振り返って、自分自身この「挨拶」をちゃんとしていなかったなぁと思うんです。

確かにお寺の事、仕事の事、地域の事、家庭の事、etc…などなどいろいろ忙しい毎日ではあったけれど。

だからといって、その時その時の「挨拶」がおろそかになれば、よいものは生み出すことは出来ないと反省でした。

 

なので、今年は「挨拶」を本来の意味のごとく、大切にしていこうと思います。

ここでいう「挨拶」というは、いわゆる出会ったり、別れたりするときの挨拶ももちろんですが、人と人との会話全てのことだったり、人だけじゃなくていろんな出来事との向き合い方全のことだったりもします。

やりたいことはたくさんあります。でも忙しいからといって、毎日の出来事をこなしてしまうのではなく、噛み締めて味わっていきたいなと。

 

忙しい毎日の時間は、滝のように勢いよく流れていきますが、滝の風景はその場にどっしりと雄大にとどまったままです。

忙しい時間の流れに流されるのではなく、流れをどっしりと味わい、流れに逆らわずに志に向かって流れにのっていけるようにしたいです。

なんだか、禅問答みたいですね(笑)

 

年末年始の除夜の鐘と大般若祈祷法要、寒い日でありましたが、今年もたくさんのお参りありがとうございましたm(__)m

皆さんとゆっくり話が出来なかったけれど、心を込めて鐘を打ち、法要を勤めました。

皆さんが鳴らした108声の鐘の音は仏さまの声であり、皆さんが合掌した姿は仏さまの姿であります。

大切にしたいと思います。

 

今年もどうぞよろしくお願い申し上げますm(__)m

 

  しょうげん 合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

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