人間のエゴによる無常は受け入れられる?
最近
うちの近くの山の木が
たくさん
伐られている
ダム建設に伴うもろもろの事情で
伐らざるをえないらしい
諸行無常とはいえ
人為的に
無常をつくりだすことは
なにか
とてつもない違和感を感じる
仕方ないのかい??
でも
伐ってしまったものは
なんとか
受け入れるべきだとも思う
そこで
伐られた木の一部ではあるが
キノコ栽培をするために
人間のエゴで活用する
無常は
多くは悲しみを伴う
しかし
なんとか肯定的に
無常を感じたい
わしのあがき・・・
はたして
正しい選択だったのか・・・
とても
不安な選択だった
違和感と罪悪感
ごめんなさい
Unknown
きのこはカワイイ
木の伐り株にキノコを育てるって
とっても素敵な発想だと思います
しょ^-^げんさんの努力に明るい未来が
見えてくる気がしました
人間の心の中に善と悪が両方住んでいるように
こうして破壊するだけでなくしょ^-^げんさんのように
どうにか工夫してみようとする心もちゃんと
あるのだから。未来への架け橋ですね
Unknown
Unknown
人は時が経つと、
そこに何が元々あったのか忘れてしまいがち・・・
今みたいな世の中だから、
その中で軌跡や足跡を残しておく事にとても意味がある様に思えます。
生きた証をまた次の命へとつなげてあげて下さい^^
たとえ矛盾した世界であっても。
Unknown
ありがとうございます!
ぽろんさま、ゆっこさま
元気の出るコメントありがとうございます!!
違和感がなくなることはないかもしれないけど
受け入れて、キノコを食べます!!
キノコができるのは、来年の秋以降になると思いますが。