新年の決意☆2016
十色十猿群里森
(十色十猿 里森に群れる)
十僧十色集叢林
(十僧十色 叢林に集ふ)
家庭社会亦如此
(家庭も社会も また此くの如し)
大力円成以協心
(協心を以て 大なる力 円成す)
個性の違う10匹の猿が 里や森に群れで暮らしている
個性の違う10人の僧侶が 修行道場に集まって励んでいる
家庭や社会もまた同じように個性の違う者同士の集団だ
同じ願いを共有する 個性の違う者同士が集まり
心を一つに それぞれのもつ力を合わせることで
大きな力を生み出し 円満に願いを成就させていこう
あらためまして、はい、みなさん、こんにちは♪
檀信徒のみなさま、地域のみなさま、ワっクスゆるゆる生活クラブ関係者のみなさま、友だちたち、、、
ご縁をいただいたすべての皆さま、旧年中は大変お世話になりました!!!
本年もどうぞ共に幸せな毎日を送れますよう、精進笑進よろしくお願い申し上げますm(__)m
年末年始のバタバタが落ち着いて、今さらではありますが、わたくし副住職の「新年の決意」的なことを述べさせていただき、新年のごあいさつにかえさせていただきます。
毎年、私は年頭所感として、漢詩をつくることにしています。
ただ、勉強不足で間違い等もあるのかと思いますが、やらなければ出来るようにもならないのでと始めた漢詩による「新年の決意」。
年に一回の節目として、自分の出来る精一杯として、つくらせていただいておりますので、どうぞお付き合いくださいませm(__)m
今年はサル年です。うちの周りにも猿がいっぱい出没します。畑を荒らしていく有害鳥獣の中でも一番の難敵でしょうか。
人間から見れば猿は有害鳥獣で、嫌な存在と思われがちですが、猿にとっては人間が森を荒らしたから里に出てきて生きるために食料を調達しているだけなのに、人間にイジメられる可哀想な存在かもしれません。
そんな猿のすごいところは、群れをつくることです。群れをつくって生活することで、敵から身を守ったり、食料をとったり、子育てをしたりして、生活を送っていくのです。
群れの中でもケンカをしたり、問題もたくさんおきますが、それでも群れをつくり生活をするのはなぜなんでしょうか?
話はかわって、岩瀧寺の宗派である曹洞宗では、必ず一定期間以上、決められた修行道場で修行生活を送らなければなりません。
修行道場の心構えの一つに、「大衆一如(だいしゅいちにょ)」という言葉があります。「目的を同じくする者は、行ずること全てにおいて、ひとつになるよう心掛けなさい」という意味です。
毎日決められた生活をみな一緒に行うんです。朝起きて、洗面して、坐禅して、朝のお経をよんで、朝食を食べて、掃除をして・・・、などと朝起きてから寝るまでの間、いや、寝ている最中も、修行僧は時間と場所を仲間とともに共有して過ごします。
十人十色という言葉があるように、性格や体格、年齢など当たり前に個性の違う修行僧が集まっての集団生活、プライベートな時間など無いに等しいのです。そんな環境ですから、ケンカになることもあるし、ストレスがたまることもあります。
だけど、「仏道を成ずる」という一つの目的を共有するお坊さんは、「大衆一如」であれというのです。なぜなんでしょうか?
猿の話と、修行僧の話をしました。それぞれ個性の違う者同士が、あえて集団をつくって共に生活するのはなぜなのでしょう??
猿とか修行とか、特殊な環境での例を出していますが、実は、家庭や学校、職場、地域などなど、我々をとりまく社会はすべて、同じように個性の違う者同士の集団で構成されているんですよね。
なぜ、集団をつくり共に生活するのか???
その理由は一つではないかもしれないし、人によって考え方は様々なので、私のルーツの1つでもある修行時代に感じたこととして示させてもらいます。
修行道場での生活は、世間一般の生活よりも厳しいとよく言われます。朝は4時前に起きるとか、坐禅を何時間もするだとか、そういうイメージからでしょうか。
もちろん、規則正しい生活を続けるということは、大変に努力のいる修行です。ただ、私が初めに感じた、一番しんどかったことは「プライベートな時間がない」ことです。
1人きりでいられる時間というと、東司(トイレ)の個室(大をする方)にいる時くらいです。それ以外の時間は常に周りに他人がいます。
修行道場に入って数週間で、体中にじんましんが出来て病院に行きました。あらためて考えると完全にストレスだと思います。
しかし、修行生活が慣れていくうちに、常に周りに人がいることにストレスを感じなくなりました。
自分だけではなく、周りのみんなも同じようにプライベートな時間はないし、同じように厳しい修行をしている仲間。
そんな仲間だからこそ、ケンカもするけれど、なんでも言い合えるし、格好悪いところを見られても共に笑って共有できる。
厳しい修行だけど、周りに同じように精進している仲間がいるから、なんとか修行を続けることができる。
むしろそんな、かけがえのない存在へと変わっていきました。
一般的に言うと、親友とかいう言葉が近いでしょうか。
ただ、そこに「目的を同じくする友」ということを踏まえれば仏教語でいう、法友とか勝友という言葉の方が断然しっくりきます。
「大衆一如」というのは、そんなかけがえのない存在を、誰しもがつくることができる為の教えなのかもしれません。
私は「修行道場」というのは、世間一般でいうところの「チーム」に近い存在なのかなと思います。
1つの目的に向かって共に全力で進む仲間。だからこそ、なんでも言い合える仲間、力を惜しみなく出し合える仲間。
そんな仲間が集まれば、それぞれの力は微力であっても、1つに合わせれば、大きな力になります。
どんな大変なことでもきっと乗り越えられるし、何よりもどんなに大変でもきっと毎日が楽しいと思うのです。
修行時代が、とても充実していて、とても楽しかったので、そこには確信があります。
チーム岩瀧寺!
チーム井田家!
チーム少年自然の家!
チームワックスゆるゆる生活クラブ!
チーム波積!
言い出したらキリがないですが、それぞれのチームが
「協心を以て 大なる力 円成す」るよう、精進してまいります♪
もっと簡潔にまとめられれば良かったのですが、自分自身の決意をまとめるべく、長文になってしまいました。
なぜ、集団をつくり共に生活をするのか?の答えになっているかは微妙ですが、集団がただの集団ではなく、「チーム」であれば、もっともっと素敵なんだというまとめにさせていただきます。
あらためまして、本年もどうぞ共に幸せな毎日を送れますよう、精進笑進よろしくお願い申し上げますm(__)m
しょうげん 合掌